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新刊情報(日本教文社) > 新刊情報 > 永遠の別れ−悲しみを癒す智恵の書 キューブラー・ロス/デーヴィッド・ケスラー 上野圭一訳 定価(本体1750円+税)

永遠の別れ−悲しみを癒す智恵の書 キューブラー・ロス/デーヴィッド・ケスラー 上野圭一訳 定価(本体1750円+税)

よしもとばななさん推薦!エリザベス・キューブラー・ロス最後の著作!
【永遠の別れ−悲しみを癒す智恵の書】


"死とその過程"に関する著作、ここに完結ー。

悲しみがあるなら、泣いて良いのよ。
我慢することなんかいらないの!
(キューブラー・ロス)



本書は、大切な人を失った時、その深い悲しみを
癒す方法を具体的に書いています。


この本の中には不思議やすらぎがありました。


両親が老い、友人たちも病に倒れることがはじまりだした中年期のただ中で、この本をひらくのがはじめはこわくて、暗く、避けたいような気持ちでした。子供や若いものやごはんをつくることなどに逃げたいような。

しかしひとたび入ってしまうと、この本の中には不思議な安らぎがありました。深い深い穴の底についた安堵でした。(本書に寄せて)




「愛する人」を失った人こそケアが必要なのです。

あなたが「愛する人」を失ったとき

人前ではみっともないので泣いてはいけない。
泣いてしまったら、止めどがなくなってしまわないか、心配で泣けない。
とにかくしっかりしないといけない。
あのときこうすれば良かったと後悔する。
何もかも終わってしまった感じがする。

このように思う方が多いのではないでしょうか?

数万件もの死にゆく人に立ち会ってきた世界的な精神科医、
キューブラー・ロスは本書の中でこう言います。

「充分に悲しんでください。そして、感情を表してください。
いつかは涙も涸れるのですから大丈夫ですよ」


そう皆さんに共感して言うのです。

「愛する人」が亡くなる状況もいろいろだと思います。
事故や災害で急に亡くなる人、長期療養後に亡くなる人、
認知症になったままで亡くなる人、離婚後に亡くなる人……。

本書は、そのような様々な例をあげながら
残された人を癒す方法が書かれています。

本書では、その一つとして、同じ悲しみを持った人とケアグループを
作ることを薦めています。
日本にもそのようなケアグループができつつあるようです。
そのような方たちにも読んでほしいと思います。

世界的な死生学の権威の最後のメッセージです。


「最後にあたって、読者に伝えたいことがある。それは、わたしの人生の目的があの『五段階』以上のものであるということだ。わたしは結婚し、子どもにめぐまれ、孫にめぐまれ、本を書き、旅行をしてきた。愛した。喪失も体験してきた。そしてわたしは『五段階』よりはるかに遠いところにきている。読者もおなじだと思う。
『五段階』を知ることだけが重要なのではない。生の喪失だけが重要なのではない。重要なのは、生きられた生である」(キューブラー・ロス/本文より)

四六判・上製・392ページ ISBN978-4-531-08159-2 C0098
定価(本体1750円+税)

ケータイからも購入できます。


著者プロフィール エリザベス・キューブラー・ロス
医学博士。死と死に至る過程についての権威として、最も愛され最も尊敬された人物である。多くの著書および、末期症状の子ども、エイズ患者、高齢者たちへの取り組みを通じて、博士は、自らの死や愛する人の死に処する数百万の人々に、慰めと理解をもたらしてきた。その著作は27の言語に翻訳されている。2004年、78歳で亡くなる前に、彼女はデーヴィッド・ケスラーと、二度目の共同作業である『永遠の別れ』の執筆を終えた。
主な著書に『人生は廻る輪のように』『ライフ・レッスン』(角川書店)、『死ぬ瞬間』『続・死ぬ瞬間』『新・死ぬ瞬間』(読売新聞社)、『死後の真実』『天使のおともだち』(日本教文社)他多数。
ホームページ= http://www.elisabethkublerross.com/

著者プロフィール デーヴィッド・ケスラー
ホスピス・ケアの専門家。マザー・テレサから賞賛を受けた“The Needs of the Dying”(『死にゆく人に必要なこと』)の著者。エリザベス・キューブラー・ロスの『ライフ・レッスン』では共著者として関わっている。悲嘆と喪失の分野における指導者的存在として世界的に認められており、俳優のアンソニー・パーキンスやマイケル・ランドンが自らの死に直面したとき、共に取り組んだ。エリザベス・テイラー、ジェミー・リー・カーティス、そしてマリアン・ウィリアムスンらも、それぞれの愛する人の死に際して、彼に協力を求めた。
ホームページ= http://www.davidkessler.org/

訳者プロフィール 上野圭一
1941年生れ。早稲田大学英文科卒。東京医療専門学校卒。翻訳家・鍼灸師。代替医療利用者ネットワーク副代表。日本ホリスティック医学協会副会長。主な著書に『補完代替医療入門』(岩波書店)『わたしが治る12の力』(学陽書房)、共著に『代替療法ナビ』(筑摩書房)、主な訳書に『人生は廻る輪のように』『ライフ・レッスン』『ヘルシー・エイジング』(角川書店)、『バイブレーショナル・メディスン(監訳)』『人はなぜ治るのか』(日本教文社)など多数がある。

「愛する人」をなくされた方、そのご家族の方、
ぜひ本書を読んで下さい。
その悲しみを癒す方法が分かると思います。


数々のベストセラーのきっかけを作った土井英司さんより

悲しみを癒し、前に進むきっかけとなる一冊。

有名な「喪失の五段階説」に始まり、いかにして悲しみを癒すか、喪失感を乗り越えるかを、心温まる文体で、優しく諭してくれます。

自分の怒りを存分に感じ切る、悲嘆を味わいつくす、ものごとをあるがままに受容する、罪悪感の解消につとめる…。

自らも二度の流産、離婚した夫との死別、放火事件などを経験し、医師としても数多くの悲劇を目撃してきた著者だけに、そのアドバイスには、重みが感じられます。
メルマガ「ビジネス・ブック・マラソン Vol.918」より)



八重洲ブックセンターにてフェアーが開催されました(2007年1/12〜2/下)。
4Fに上がるエレベーターの前。
「永遠の別れ」の他、あの名著も一緒に。
人文書コーナー4Fで6位になりました。(2007.1.21〜2007.1.27)

本書の〈目次〉

第1章 悲嘆の五段階
第2章 悲しみの内側
第3章 悲しみの外側
第4章 特殊な喪失体験
第5章 変わりゆく悲しみの顔
第6章 エリザベス・キューブラー・ロス/わたし自身の悲嘆
第7章 デーヴィッド・ケスラー/わたし自身の悲嘆
結びのことば/悲嘆の贈り物

>>読者の方からの感想>>


今この本が手元にあるのは救いである
この本を読んで先ず思ったのは、あぁ、もっと若い頃にこういう本を読んでおきたかったということだった。30代の頃、両親を亡くした。父が亡くなったときは、自分の悲しみをこらえるのが精一杯で残された母の悲しみをサポートするなど思いも寄らなかった。混乱して、依存度を増す母に苛立ちを覚えたものだった。しばらくたって母が泊まりに来て子どもたちと眠った翌日、父が枕元に現れたと言い、小学校の低学年だった娘が自分も確かにおじいちゃんを見たと言ったときに、それは母の幻覚であり、幼い娘がそれに引きずられたのだと相手にしなかった。あり得べきことなのに。母が亡くなったときはあまりの煩雑さに一人歯を食いしばっていた。もっと悲しんでもよかったのだ。悲嘆を悲嘆として味わい尽くせばよかったのだと、この本を読んでいて思った。そしてそれを母や子どもたちと共有できていたら、どんなに違った展開になっていただろう。今、私の近くに90才を過ぎて骨折、認知が進んだ実母がいる。幾たびも癌の再発を繰り返し緩和ケアの話を聞くことになった友人がいる。先のことを思えば時に涙も出てくるが、踏みとどまって向き合い、どんな感情も味わい尽くそうと思っている。今この本が手元にあるのが救いである。それにしても、デーヴィッド・ケスラーと同じように私もキューブラー・ロスの不在が寂しい。(spece I "Minmin")


悼みとは何かを改めて考える、感じる
悲嘆の只中にあるとき、慰めは要らない。誰も自分のことをわかってはくれない。その人との関係は自分とその人だけの関係なのだから。と誰しも思う。この本の中にはそんなさまざまな喪失と悲嘆のドラマや物語がたくさん詰まっていて、涙なくしては読めない。
時間が止まり、永遠にこの苦しみが続くかのように思える。そんな中に真っすぐ入っていく。その体験こそが真の慰めと癒しの世界へと私たちを運んでくれる。それは、悼みの向こう側の世界であり、繋がっている世界なんだと思う。(こねこ)


キューブラー博士の心憎い演出に敬服
今までの人生の中で「死」というものに遭遇していない人はいないのではないか。恩人、家族、友人、ペット、隣人、知人・・・その中でもやはり大切な人、かけがえのない人を失うほど悲しみに襲われることはないと思います。そこはただの悲しみだけしかないように見えるかもしれない。
しかし、あなたの悲嘆の底にはもっと深い感情がかくれているかもしれない。「悲嘆は時に喪失感を癒すばかりか人間としてあなたを癒す作用がある。勇気をふるって、悲嘆の感情の源を探って欲しい」と述べられている。決して涙を我慢したり、強がったりすることは必要ない。そうしなければ何年後何十年後に我慢したものが吹き出してくるというのが読んでいて気づかされました。
全ての感情は、自分の中で完結させなければいけない・・と思った。しかし頭では、分かっているが・・・出来ない・・そんな苦しみの中に居る方達にこの本は、手助けになるのではないかと思うし、そうなって欲しいと願う。
人生に「もし・・・あのとき」というのはあり得ない。
後悔する自分を許すこと・・・・。死というものは亡くなった人が二度と会えない遠くに行ったように思われますが実は一番近くになり 常に自分の中にいて対話できている。残された者は 決して孤独ではないのです。そのことに気づくことが癒しなのかもしれません。本書が最後の書となったキューブラー博士の心憎い演出に敬服いたします。(まほろ)


10年前に知っていたら・・・
「悲嘆は、治癒のプロセスである」−まずこの言葉が深く印象に残りました。人は「喪失」「悲嘆」という体験を十分に味わってこそ強くなれる、それにふたをしたり、強くならなければと思えば思うほど、自分を苦しめるだけ。実父を3年半に及ぶガン闘病の末に亡くした当時、その深い悲しみから早く立ち直らなければならないと自分にプレッシャーをかけたり、悲しんでいる自分は弱い存在だと自己否定をしていました。結果として、自分の心身を蝕み、とりかえしのつかない病となりました。その頃にこの本に出会っていたら、「悲嘆」が治癒のプロセスであるとポジティブに受け止め、焦らず、無理せず生きてこられたのだろうと思います。
「悲しみぬくことそのものに癒す力がある」とこの本には書いてありました。そして、「自分の悲嘆をうまく経過させることができなかったとき、われわれはこころとたましいを癒す機会を失う」と。最後に、キューブラー・ロスは語っています−「五段階を知ることだけが重要なのではない。生の喪失だけが重要なのではない。重要なのは、生きられた生である。」このメッセージを読んで、ずっと心身の不調を抱えたまま、自分を奮い立たせてがんばってきた自己を初めていとおしく感じられるようになった気がします。
感情をすべて自分のものとし、受け入れ、さらに、そのプロセスを経て再生し、本当の意味で強く美しい自分をみつけていくことができるのでしょう。まだまだ強くも美しくも生きられていませんが、今の自分を大切にし、自然体で生きて生きたいと思いました。10年前の父の闘病以来、いろいろな本を読み、いろいろな体験をしてきたにもかかわらず、ずっと不調だった私の魂が、初めて癒された気がします。本当にありがとうございました。(kesukosu)


この本に出会って良かった
愛する人を失ったときの悲嘆を色々なケースで描いた本でした。その悲嘆のそれぞれにどう対処すればよいかを教えてくれます。人それぞれに色々な対処の仕方があり、どのやり方を選ぶかは、その人なりで良いということを強く教えてくれました。この本に出会ってよかった。(小金井次郎)


ロスさんありがとう
私は20歳の時に、世の中で1番大切な人を突然交通事故で失いました。
後にも先にも、母親の前であんな風にかまわず泣いたのは初めてだったと思います。それから私は何もする事が出来ず、電話をすればきっと普通に出るに違いない、もし私が素直にしていれば私達は今でも付き合っていて、彼は死ななかったに違いない、など繰り返し考えて1週間寝たきりで過ごしました。
生き返る夢を見たり、実際に彼が現れない事に裏切られた怒りを感じたり、自分の行いを改めるので彼を生き返らせて下さい、といってみたり、、、。しまいには「あんなに人に好かれている彼が死んで、どうしようもない自分が生きているなんて」と自分を責めては自分には生きる価値がない、と死ぬことばかり考えていました。
実際にわたしがこの悲しみから抜けるのに10年かかりました。人の感情は「起きた事にたいする反応」で人それぞれ違うし、悲しみのプロセスも十人十色でいいのだとロスさんは言っています。「地上における目的は、愛し愛され、成長することにあると、わたしは信じている。」この書は今大切なものを失ってしまった人、愛を必要としている全ての人に温かな何かをもたらしてくれると思う。または思い出させてくれると思います。
最後にロスさんのこの言葉に、いままでの彼女の全てが集約されている気がしました。「人生は成就です。そして死は、その成就の一部なのです。死にゆく人たちが必要としているのは思いやりと愛のあるケアだけで、それ以外には何もありません。」ロスさんありがとう。(岡田)


自分を取り戻すためのガイド
今まさに大切な人を亡くした直後の感情を体験している人はそう多くないかもしれません。が、この本は、人生の中で起こりうる嵐のような感情にどう向き合ったらよいかを教えていくれているように思いました。感情に翻弄されて、気にかけてくれる人との関係を台無しにしてしまう必要はなく、自分が間違っていると考える必要もない。自分が感じていること、自分自身を大切にし、自分を取り戻すまでの道のりを安心して進めるようになるためのガイドのような本でした。(中山涼子)


手元に大事においておきたい一冊
いつか人は死ぬものだとわかっていても、普段は余りその後の悲しみについて考えないのが多くの人だと思う。そしていざ死なれてどうすればよいのかわからない状態に陥るのだろう。この本で最終的に言っていることは「愛する人を亡くしたら思う存分悲しみなさい」と言うことだと思う。それを、親しい人を亡くした時に人がどうなるのか見てきた著者が多くの例を挙げて語っている。この著者が過去の著書で言っているという(私はこれ以前の著作を読んでいないが)「悲嘆の五段階」について、本の最初でまとめている。著者の生前、この五段階を知識として得た人が、実際に近しい人を亡くした友人に「悲嘆の5段階でもこういうじゃないか」と言って「早く元気を出せ」と(無理に)励ますところがあるが、これさえも暗に皮肉っているようなところもある。これは自らの説を覆すものではないが、要は何はともあれ十分に悲嘆にくれることが大事であると、いくつもの例を挙げながら重ねて強調している。近しい人を亡くした人に共通する悲しみはあり、十分参考になると思う。
私は、まだ親しい人を亡くしたことはないが、この本を読んでいる間ずっと涙を抑えられなかった。いつか愛する人を亡くしたときのために、手元に大事においておきたい一冊である。(K.O.)


いずれは迎える悲しみのために
この本には、身近な人や愛する人を失った時、自分自身が死に直面した時の悲嘆の重要性をいろいろな事例を紹介しながら、細かく丁寧に書かれている。
悲嘆こそが心の治癒に至る無くてはならないプロセスなのだ。わたし自身、幼い時に母を失い、感情を封印したまま成長した。悲嘆のワークをしたのは、大人になり、離婚という喪失をた後である。その人により、時期や期間、スピードは異なっても、いずれは悲嘆と向き合う時が来るということが、いまは理解出来る。
そして、著書たちが述べているように「悲嘆は、贈り物」なのだ。この先、自分または、まわりの誰かが喪失体験の後、悲しんでいる時、怒っている時、否認している時、いろいろな感情の波に翻弄されている時、それぞれを否定すること無く、遮ることなく受け止められるようでありたい。(よっこ)


今の自分を受け入れることができました。
何年か前から病気になった父が亡くなる夢を続けて見て、父の死を予期して悲しみがこみあげてくるときがあります。そんな感情をどう扱っていいのか、また父の死が現実になった時にどう対処してよいのか途方にくれていましたが、この本を読んで、予期された悲嘆が実際の喪失の何年も前に始まることもあることを知りました。予期した悲嘆はプロセスのほんの始まりにすぎないけど、重要な一部であるとこの本には書いてあります。そして何よりも力づけられたのは、悲嘆が治癒にいたる感情的・心理的・霊的な旅であるという事でした。悲しみぬくことそのものに癒す力があることを知り、今の自分を受け入れることができました。これから予期した悲嘆が現実になったときがきたら、この本をまた何度も開くような気がします。(YU)


それで構わないことが分かりました。
12年前から続いている個人的な悲嘆に何とか終止符を打つきっかけになればと思い読み始めました。
自分の経験と重なって、死に行く人に必要なものは「思いやり」と「愛あるケア」ということを改めて考えさせられました。この単純で基本的な気持ちが、今や日本で失われつつある気がします。結論から述べると、自分の悲嘆を分析することができても終わりにすることはできないとわかりました。そしてそれで構わないとも思えました。悲しむことが人生の一部であり、悲嘆の感情を持つことの大切さを教えてくれた本です。また、悲嘆のさなかにいる人への接し方は難しいものです。こんな時、どう接したらよいのかという貴重な教えが得られました。私にはこの教えで得るところが大きかったと思います。読み返す毎にまた新たに感じることがありそうな奥深い本です。(かおる)


深く心に届いた内容でした
本を手にしたときから装丁の美しさに感動しました。
読み始めると様々な感情が溢れて、じっくりと現実に向かい合わせになった気がします。読み進むにつれて、ひとことでは言い表せない心の奥の深い感情や想いが紐解かれていったようにも感じます。ずっと大切にして機会があるごとに開き感じていきたい1冊だと思います。(sunny)


大きな喪失体験も小さな喪失体験も生きる力を強くしてくれる
大きな喪失体験も小さな喪失体験もどちらも、喪失体験であることには変わりがない。どちらも、体験しようによっては、生きる力を強くしてくれる・・・。本書を読んで強くそう感じました。
何より著者二人の喪失体験(そのうちの一人は「この世に生きる自分」を失おうとしている)が胸に迫るものがありました.現代は、愛するもの失った時をどう悲しんでいいか、どう悲しみを表していいか・・・ふさわしいモデルが身近にいない時代だとありました。
自分の死も、身近な人の死も必ずあることなのに・・・
自分の心や魂が十分納得するように悲嘆しづらい時代・・・悲嘆し抜けば悲嘆は自分の力にもなってくれるものなのに・・・ないかのごとくに、あってはいけないものかのごとくに扱われてしまっている・・・。
残念なことです.それは一つには、日本では、一般的には戦争を生き抜いた(生き延びた)世代の人たちが・・・自らの喪失体験を語らない。「その喪失体験と悲しみこそが自分の心を強くしてくれた」とは・・・いわないことに象徴されているように思います.
アウシュビツ、911テロだけではなく、この日本にも戦争というかたちで喪失体験をしている人たちがいる・・・。
そのことにもっと目や心を向けてもいいのではないかと・・・なぜだか強く思っています。(本は心の栄養 (横浜))


何度も涙がこみ上げてきました。
私は(千の風になって)の詩と出合い、曲を聴いて歌詞の意味を考えているとやさしい気持ちにさせられる。
この詩に何かを感じとっていた時に、この本と出あった。とても大切なメッセージの数々に心をうたれ、涙がこみ上げてきてなかなかラストまでスラスラと読み進められなかった。
ようやく最後まで辿りついた時に、優しさと愛に包み込まれ、温もりを感じた。
そこにもまた、メッセージとして(千の風)の詩が載せられていた。私も闘病で何度か危ない状態になる経験があり、生かされていると感じ過ごしている。私自身、永遠の別れとは未知の世界で実感がわかない。しかし、いずれくるであるその時に、この本でどう対処すべきかのヒントを得ることができたように思う。そして悲しみを我慢しないで、悲しみ抜くというプロセスが大事だということを学んだ。素晴らしい本に出合えたことに、心より感謝を込めて。(アバンダンス)


人生をより深く有意義にするための本です。
普段の生活では特別な事だと思っている「死」。しかし「死」は何も特別な出来事ではなく、そして遠くの出来事でもない。誰の人生にも必ず起こる出来事である。そんな「死」を生きているうちから意識することで自分の人生に対する認識を変え、人生をより深く有意義にするための本です。この本を読む人はこれから誰かを「送る」立場になり、人生の最期には「送られる」立場になる。そのときの心構えを教えてくれる本でもある。誰かを看取ることが近づいたときにはまた読み返したい本です。この本は静かにこんな問いかけをしてきます。「あなたは自分の死をどのような気持ちで迎えたいですか?」と。(がんちょ)


どんどん引き込まれていってしまいました。
親しい人の死を身近に経験した人間でなければ分からないようなことが分かりやすく書かれています。つい最近、夫を亡くした私にとって、これほど納得できる内容の本はありませんでした。読み進めていくと、「実にその通りなんだよなあ。そのことが心の中にずっとひっかかっていたんだよ。」というような実感がわいてきて、どんどん引き込まれていってしまいます。特に、第2章の「悲しみの内側」では、実際に最愛の人を失った人でなければ決して分からないであろうと思われるさまざまな思いが、納得のいく内容で書かれており、心が癒され落ち着き、気持ちの整理がついたような気がします。とにかく何度も繰り返し読んでみたい本です。身近な人の死と向き合ったことのある人、その死について思い悩んでいることがある人にぜひ読んでいただきたい1冊です。(まりりん)


心の奥のわだかまりが晴れる感覚
本書を読み進めるうちに、自分の中のささやかな喪失体がいくつも蘇ってきた。例えば、熱心に計画していたことが理由もなく中止になってしまったことなどだ。それは親しい人を失うことに比べればとても些細なことかも知れないが、いや、些細なことだからこそ十分に体験しつくされておらずに、心の奥底に沈んでいたのだろう。「あー、僕はあの時悲しかったんだ…」と、今更ながら気が付いた。そしてその悲しみを感じる作業を通して、心の奥にわだかまっていたものが晴れるような感覚があった。自分の中にある悲しみを見つめることは、とりもなおさず自分自身を見つめるということであり、そのことが私たちに解放をもたらすのだろう。
著者の二人は、「悲しみぬくことそのものに癒す力がある」と言う。今、私たちは「嘆き悲しむことを教える親がほとんどいなくなった」時代、愛する人を失った悲しみを安心して分かち合うことが難しくなってしまった時代に生きている。そんな中で本書は「悲しむこと」は辛い体験ではあるが、その悲しみをじゅうぶんに悲しみぬくことは人を成長させてくれる力になるのだと教えてくれる。
キューブラー・ロスは、彼女自身の悲嘆を綴った文章の中に「わたしのように間接的な方法ではなく、本書をつうじて、読者がもっと直接的な方法を選び、安心して自己の悲嘆を癒して頂きたいと、心から願ってやまない」と書いている。彼女から私たちへの、文字通り最後のメッセージなのである。(まさどん)


安心感と心強さを与えてくれる一冊。
「悲嘆とその過程について」書かれたこの著作は、人の数だけ悲しみの形も様々なのだから、誰もが経験する人生でもっともつらい時期を正しく過ごす方法などは存在しないということを教えてくれる。
悲しみぬくことそのものに癒やす力があるということを、よく悲嘆する者こそ、よく生きることができるということを、彼らが出会ってきた様々な場面における喪失と悲嘆を通して淡々と語りかけてくれるのだ。
今後もしかしたら、喪失と悲嘆が押し寄せてくるような時代を迎えるかもしれない。しかし、私達はキューブラー・ロスが切り開いてくれた大地に立っている。そして“違う存在”になったキューブラー・ロスが常にサポートしてくれている。そんな安心感と心強さを与えてくれる一冊である。(ゆきび)


私は薄情な人間だったのか・・・?
昨年暮れに、愛する人が他界しました。
もともと私の「死生観」には、「死」に対する「悲嘆」はありませんでした。ですから、「悲嘆」に暮れることはありませんでしたが、葬儀の直後は、愛する人がこの世に存在していない現実を受け止められずにいました。
その現実を受け止めるため、大のお酒好きだった故人を偲び、久しく控えていたお酒を泥酔するまで飲みました。飲む酒は、故人の好きだった「芋焼酎」。飲み方も故人の好きな「お湯割り」。故人の好きだった音楽を聴きながら、毎晩飲み続けました。
そんな日が10日間ほど経過した頃、自然と、愛する人との出来事を、自分の生きるエネルギーに変換していました。
確たる「死生観」を持ち、「死」に対し、正面から深く向き合うことで、人は強く生き続けることが出来ると私は思います。しかし、確たる「死生観」を持っていない人が、自分の愛する人との「死」と向き合う時、様々な葛藤や困難に直面することは避けられないのではないでしょうか? そんな時、この本『永遠の別れ』が役に立つかも知れません。
この本のテーマは、サブタイトルのとおり「悲しみを癒す智恵の書」です。愛する人を失った後に訪れる「悲嘆」について書かれています。「悲嘆」と向き合うことの意味、解釈などについて、専門家らしく、優しく、丁寧に手引きしてくれています。
ただし、「悲嘆」に対処できている人は、読まない方がよいのかも知れません。故人との関係性や、亡くなり方によっても違うと思いますが、 愛する人を失った時に訪れるのは、「悲嘆」ばかりではありません。私の中には、「悲嘆」の感情は微塵もありませんでした。ですので、「悲嘆」にばかりフォーカスされると、ちょっと困惑してしまいます。「悲嘆の感情がない俺って薄情なのかも?」そんな気持ちになってしまいました(苦笑)。
しかし、もしも、あなたが今でも「悲嘆」に暮れているのであれば、この本を一読してみてはいかがでしょうか?
私は、心霊研究家の類ではありませんが、きっと故人はあなたが一日でも早く元気になって欲しいと願っていると思います。(百姓人)


この本のどこかに必ず解決策が書いてある。
「どんな状況でも大丈夫。」私の両親はまだ健在だ。いつか「その日」を迎えたら、いったい私はどうなってしまうんだろう、耐えられるのだろうか?、と恐怖心でいっぱいだった。だが、この本に出会ってからは安心だ。どんな状況に陥っても大丈夫。あらゆるケース、あらゆる場面、愛する人を失った人自身の思い、その周りの人の対応・・・この本のどこかに必ず解決策が書いてある。そう思える本だった。(たま "tamalove")


新たな視点と勇気を与えてくれる本だ。
この本は親しい者を亡くすというこの世で最大の悲しみのさなかにある人に、またそのような人と親しい関係にある人に、新たな視点と勇気を与えてくれる。自分は現在その「当人」ではないけれど、そのステージにいる二人の親友がいる。二人の言動を理解するのにとても役に立つように感じる。また本当の思いやりとは何なのかも考えさせられた。(じゅんこ)